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私が黒髪が好きです。いえ、私のことなんざどーでもいいと考えてらっしゃる方がほとんででしょう。別にこんなことをカミングアウトする必要はまったくないんです。ただ、他の方々のことばっかり書いて、私自身のことはあまり書かずにいるのは不公平かと思いまして、ちょっとくらいは書いた方がよろしいんじゃないかと思ったのです。それでもどーでもいいのならばそれでぜんぜん結構です。喧嘩を売ってるわけでもありません(笑)。
日本人はありのままで素晴らしく美しい黒髪を持っているんだから、なんでわざわざ染める必要があるのかと少々疑問に感じている男性は私だけではないはずです。十数年前くらいまでは、髪を黒以外の色に変えるのは不良くらいだったのですが、今では一般の男女が当たり前のように髪の色を変えています。もはやオシャレや大人のたしなみの一種だというくらいに世間に浸透してしまいました。
芸能人や有名人、英語の単語を使うならばロールモデルと呼ばれる人々の半分以上が髪を染めているのですから、これはもうどうしようもないことなのかもしれません。
「しまいました」と表現したのは個人的に残念だからです。金髪が似合うのは外国人です。アジア系の人種に金髪がないのには理由があると思います。自然の法則を侮っては行けないといつも感じています。
こんなことが書けるのは私が黒髪が好きだからですね。好きじゃなかったらこんなこと書けませんね。
私は女性の全てが黒髪に戻ってくれればと真剣に願っているくちです。
人間に対面したとき、まずはどこを見るのか。つまりは視線がどこに向かうのか。簡単な調査をテレビのバラエティでやっていました。男と女の違いをさぐるというテーマでもありました。
男女共に、まずは顔。これはやはり鉄板なようです。
初対面で相手の顔や目を見ずに会話するのは非常に失礼ですよね。スケベ心丸出しでおっぱいばっかり見ながら女性と話そうものならばブッ飛ばされるかもしれません。商談の場だったら決裂すら危ぶまれるでしょう。
とにかく顔を見るのは男女共通。そして次はどこへと視線が移動するのか。
男はやはり胸がいちばん多かったです。あとは体全体にまんべんなく散らばっていました。
一方で女性はどうだったのかというと、顔の次は手でした。胸でも股間でもなく(笑)、手だったのです。理由を聞いてみると「わからない」「なんでか知らないけど目が行っちゃう」とのことでした。
知り合いの女性に聞いてみたら、何故か手を見てしまうことは多いそうです。遊び人の知り合いがいるのですが、彼に言わせると「女は手を見ることが多い。だからオレは手の産毛を永久脱毛したし、手入れを怠らない」と自慢していました。
女性は手が好きな方が男性に比べると非常に多いようですね。男ならば手フェチといえるくらいが女にとっては当たり前なのかもしれません。
くびれは女性の永遠の憧れの一つです。もう何百年も女性の憧れであり続けて来ました。古くはヨーロッパのコルセットから始まり、現在のダイエットブームはとどまるところを知りません。ほぼ全ての女性が細くて魅力的なくびれを求めています。男性がそれに魅力を感じていることを知っているからです。
男はなぜくびれに魅力を感じているのか。好みや細かい要望は人それぞれですが、遺伝学的には「子供を産みやすい」からです。ウエストに対してヒップが大きいとそれだけ胎盤も大きくなる傾向があり、つまりは安産になりやすいという判断になります。男の根源的な欲求は子孫を残すことです。目的を叶えられそうな女性に魅力を感じないはずはありません。お尻が小さかったら帝王切開をしなければなりませんし、それはリスクです。リスクがなさそうな相手が望ましいのも当たり前です。
なんだかやたらと学術的な理屈ばかり書いていますね。そもそもなんでくびれを男性は魅力的に感じるのかについて、他にうまい理由が考えつきません。
ちなみにですが、ウエストが広がりにくいのは男性のほうだといわれます。なぜなら腹式呼吸で四六時中お腹を動かしているためです。女性は胸式呼吸が多く、男性は腹式呼吸が多いのです。無意識的にお腹の筋肉を動かし続けていたら膨らむはずがありません。
ですが男にくびれは必要ありません。皮肉なもんです。欲しいけれど手に入りづらい、いらないけど簡単に手に入る。うまくいかない世の中の図式がここでも垣間見れますね。
へそフェチだってもちろんいます。そんなにこだわりがない人にとってはどうでもいいのかもしれませんが、好きな人には細やかなこだわりがあります。
私の知り合いが言っていた話では、ちょっと前に流行ったへそ出しルックなどのように服装によって見えるへそに興奮するというタイプもいれば、もろにへその形状によって好みが決まっているタイプもいました。たまらなく綺麗なへその持ち主であると同時に顔も綺麗な女性を「へそ美人」というのだそうです。また別の人に言わせると、顔なんて関係ない、へそが美しい女性こそをへそ美人と呼ぶのだとか。彼らはへそ談義だけで3時間は会話がつきない、と笑っていました。
へそにもいろんな形状があるのだそうです。私が知っているのは出べそか普通のへそか、それくらいのものです。へそフェチが言うには、縦に長いへそ、穴が丸く広がっているへそ、穴が極度に小さいへそなど、それこそへそというのは千差万別なんだそうです。嬉しそうに自慢していました。
あと、モーニング娘のメンバーのへそはどうだ、MAXという女性4人のグループはどうだなど、有名人のへそについても情熱的に語っていました。
わきフェチの方がなかなかお目にかかれない腋の下を垣間見て興奮するように、へそフェチの方もなかなか見れないへそを見つけては興奮しているんでしょうね。素晴らしいことです。珍しい性的嗜好を持っていたらオープンにする人はこれから増えてくることでしょう。というのが私の勘です。
脇汗で悩んでいる方は多いようですね。どちらかというと女性に多いようです。男性ならばあまり問題になりません。仕事で汗をかくのは美しい姿ですし、美容にさほど気を遣わなくてもいいという理由もあるでしょう。
女性の場合はまた違うかもしれません。例えば、テレビアナウンサーが脇に汗をたっぷりとかいてしまったがゆえに腋の下が濡れてしまい、その様子が不快だという苦情のファックスが生放送中に届いたことがあります。その女性は一言謝ったうえで、腋に汗をかくのはいいことだと開き直ってしまいました。素晴らしい(笑)。
コソコソしたり隠そうとするから嫌らしくなってしまうんです。バーンとさらけ出してしまえば見ているほうも気持ちが良いものです。マイナス要素を指摘されたら普通は縮こまってしまうところですが、そこを開き直ってしまえるのは立派な処世術だと思います。個人的に見習いたいものですね。
また話が逸れました。
体質的にわきの下に大量の汗をかいてしまう女性はけっこういるようです。私もそういう女性複数人と話をしました。一様にこれは「悩み」だというふうに表現していました。
悩みなんていうものは一つの側面でしかありません。それが好きな人にとっては長所になるのです。腋汗フェチなる嗜好が存在するのですから。
今はブログで簡単に自己表現ができてしまう時代です。ネットならば自分を受け入れてくれる人が必ずいます。思うに、自分の脇汗を撮影して個人ブログにアップしてフェチを満足させるという女性が一人くらいは出現してもいいような気がするのですが、未だに現れてはいないようですね。
どんどん現れて欲しいもんですね。
男性の8割は鎖骨フェチ、というくだりをネットで見つけました。
フェチというのは単なる程度の問題だと思います。フェチに限らず、頭の中の出来事は全て程度の問題でしかありません。ひとつのことに妄執しすぎて日常生活に支障をきたしたケースが病気として扱われるのであり、その判断基準は非常に曖昧です。周囲の人間にとっては異常であっても本人にとってはまったく普通のこともあるし、その逆もあります。
周りの人間に理解されなくても別にいいではないですか。そりゃ人間だから理解してもらったり受け入れてもらえるほうがいろいろな意味で楽ですが、必要なことじゃありません。自分は自分らしく、貴方は貴方のフェチを追求し続ければいいんです。
いったい何を話しているのか。ときどきこんなふうに話が思いっきり逸れます。
話を戻しますが、鎖骨フェチ8割というのはちょっと多すぎな気がします。よく「貴方は何フェチですか」という質問をオンラインでもオフラインでも見かけますが、鎖骨フェチは1割にもなりません。それだけ希少価値のあるフェチということになります。
ただ、どの程度のフェチなのかを本人も把握せずに安易にフェチという言葉を使っていることもあります。フェチという単語はここ数年間でかなり一般に普及しまっているので、フェチという程度ではない人でも使ってしまうきらいがありますので。例えば神社に行くのが好きな人が「私は神社フェチ」と表現するくらいです。フェチとはそういう意味じゃないんですが。あくまでも性的な意味合いが伴うのが本来の意味です。
また話が逸れました。今日はもうこれくらいにしときます。